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テクノロジーの力

テクノロジーの力

小さい頃から大学受験に至るまで、もっとも苦手で嫌いな科目は「国語」だった。文系の大学を卒業している関係で文系科目が得意だと思われやすいが、あれは数学の得点力で合格している。国語どころか語学全般苦手で、英語も大人になってからも勉強を継続しているが、ネイティブとビジネス会話ができるようになるイメージがまったく沸いてこない。

国語が苦手だった僕に、おかんはよく「本を読め」とよく詰めた。読めば点数取れるっつうなら読むけど、どれ読めばいいのよ。おかげさまで大の読書嫌いになった僕だが、経営を始めてからは必要にかられてなんとかコンスタントに本を手に取っている。やはり物事のモチベーションはいつでも内発的に生み出すべきものだと思う。

とはいえ僕も例に漏れず、買ったまま積み上げている本や封さえ開いていない月刊誌は相当ある。Kindleの中にもせっかくの内発的モチベーションが逃げ出しそうなぐらい未読一覧がたまっている。入院中に時間ができたのは幸いだった。

ハーバードビジネスレビューの1月号の巻頭言、MIT出身のソニーの研究者である遠藤さんのコラムはすばらしいものだった。うちの遠藤さんにも読ませたい。

二足歩行ロボットの研究をしていた遠藤さんは、骨肉種を煩った友達が「自分の足で歩きたい」とつぶやいた姿を見てご自身の道に迷われたことがあったらしい。そんなとき彼は、MIT(マサチューセッツ工科大学)の教授の「体に障がいを持つ人はいない。テクノロジーに障がいがあるだけである。」という信念に感じ入った。

視力の悪い人が「障がいを持っている」とは誰も思わない。これはめがねやコンタクトレンズというテクノロジーの力だ。個人の尊厳を損なうことなく、機能性に加えファッション性まで与えている。

遠藤さんが言うには、義足をここまで進化させることができればめがねと一緒、足がない人もテクノロジーの障がいから開放される。技術力を高めるだけでなく、その技術が未来をどう変革するかを語るところまでが、本来のエンジニアの仕事であると言う。

HTMLは多少かじったがCSSからは逃げた、フォトショやイラレは触ってもいないという程度の低い僕からすれば、「頭の中にあるモノを形にする力」というだけでテクノロジーの力は尊い。でも本当のエンジニアの目線の向こうには、モノを作ってただ完成させるだけの自己満足的な喜びでなく、その完成物で救われるユーザーの笑顔や豊かな生活があり、さらに自分の技術が変える未来がはっきり見えているんだろう。それが彼らの内発的な動機になっているに違いない。

ここで働き技術を磨きモノを作れば、自分の技術で喜ぶユーザーがいて、未来が変わる可能性がある。技術者だけでなく全員がそういうモチベーションで仕事できる会社にしていきたい。