「すぐに使える知識や情報を得るために本を読むことはほとんどないです」
そう語るのは、入場料制の本屋「文喫(ぶんきつ) 六本木」の副店長を務める林和泉さん。「『読まなきゃ』と思って読む本はなかなか好きになれないことが多いと思います。読まなきゃいけない本なんてないですし、気分が乗らないときは無理に読もうとしなくていい」。忙しい日々を送る人の中には、どうしても読書に実益を求めてしまい、本を読むことのハードルを上げてしまっている人も多いのではないでしょうか。
「本の楽しみ方をもっと広く捉えて。読書は気が向いたときに、好きなところからするのでいいんです」という林さんの言葉から、読書への一歩がふっと軽くなる、本との心地よい付き合い方を教えてもらいました。
- やっぱりいてくれて良かったなと思える存在
- 本との出会いをつくる本屋
- 林さんが出会った癒やしの3冊
- 本は“特別な存在”じゃなくていい
やっぱりいてくれて良かったなと思える存在
林さん自身の本との付き合い方を尋ねると、子どもの頃からそばにあった当たり前の存在だったそう。ですが、そんな彼女の本に対する考え方は意外とライト。「読書のモチベーションには波があり、まったく読みたくない気分のときもあるし、家にある本は最初から最後まで読んだものの方が少ない」のだとか。「自分が『本の虫』だと思ったことは実は一度もなくて。でも、ふとしたときにその存在がうれしくなることがあるんです。本はずっと私に寄り添ってくれている伴奏のような存在です」
無理に好きにならなくてもいいし、気分が乗らなかったら読まなくていいやくらいの気軽な付き合い方で本と向き合う林さんですが、「他のものでは味わえない興奮や感動を与えてくれるのも本」だと言います。「今でも、偶然手に取った1冊に『この本はすごい……!』と気分が上がることがあります。そういう体験をみんなにもしてほしい。誰でも、気負わず本を手に取ってほしいんです。それが私が勤める『文喫』の目指すところでもあります」
本との出会いをつくる本屋
「文喫」は、六本木の青山ブックセンター跡地にあるちょっと変わった本屋さんです。ここには「本と人との出会いをつくる」さまざまな仕掛けが用意されています。林さんが、本との出会いを大切にする訳は、本の魅力を“一冊では完結しない不思議な体験“に見出しているから。
「何気なく手に取った本の内容が、後になって『一見関係がなさそうな他の本とつながっている!』と気づくことがあるんです。内容は違う本のはずなのに、頭の中で不思議とひもづいていくのがおもしろくて」。読む人の中でどんな本と本がつながるのかは、出会ってみないとわからないもの。その体験のおもしろさを知っているから、本と人とが出会える場所づくりを文喫は大切にしているのだそうです。
「文喫で取り扱う約3万冊の本は、すべて1タイトルにつき1冊しか店頭に置いていません。ここには、お客さんと本との3万通りの出会いがあるんです。話題書や新刊も等しく1冊しか置かないため、特定の本を探しているお客さんにとっては不親切な本屋かもしれません。ですが、売れるからという理由で大量に仕入れてしまうと、こちらが意図しない形でお客さんに先入観を与えてしまう。それが嫌だったんです」。「純粋に興味のある本を手に取る」機会が失われないよう、POPを立てるなど本屋側からのレコメンドもいっさいしていないといいます。
文喫の「本に出会うこと」自体を楽しむ仕掛けはまだあります。例えば展示スペースの台に1冊ずつ平積みされた本。一番上の1冊を手に取ると、その下の別の本の表紙が自然に目に入ります。ひと山にまとめられた本のセレクトも絶妙。まったく違うジャンルのようで、どこか共通点がありそうな選書になっており、”架空の関連性”を想像する楽しみすら生まれます。 文喫のどこを歩いてみても、他の書店にはない、新しい本との出会い方を提供する仕掛けであふれているのです。
林さんが出会った癒やしの3冊
文喫のブックディレクターとして、毎日約200点発売される新刊の中から選書をし、本とお客さんのすてきな出会い方を日々模索している林さんですが、ご自身は最近どんな本との出会いがあったのでしょうか。「最近はストーリー自体の意味よりも単純に文章のリズムが良いものや、言葉が凝縮された短歌などを手に取ることが多いです」と語る林さんに、“癒やし”をテーマに本をセレクトしてもらいました。
1冊目のセレクトは、林さんが中学時代に夢中だったという作家の1人、嶽本野ばらさんの小説『下妻物語』。茨城県下妻市を舞台とした、ヤンキー少女とロリータ少女という意外な組み合わせの2人の友情ストーリー。「読み進めるうちにパワーが満ちてくるというか、気分がスカッとして元気になれる本です。2人の主人公の性格がまったくブレないので、自分の中に迷いがあるときに読むと安心します」
2冊目は絵本。「ぜひ、直接触れて、めくってみてほしい1冊」だと林さんは言います。「ページがトレーシングペーパーのようになっていて、次のページが透けて見えるんです。薄いページを乱暴にめくると絶対に破れてしまうから、この本を触るときはていねいな所作で優しく接しよう、と思える。心が荒れているときにこの本に触れると、ページをめくることに集中できて、研ぎ澄まされていく感覚になれるんです」
最後のセレクトは、少し驚く1冊。「後半は詩集のようですが、なんと文章がすべて回文になっているんです。言葉の意味に疲れてしまったと感じるとき、この本は、言葉を単純にリズムや音として楽しむことができるんです」。「言葉の意味を超えたものが最近美しいと感じる」と語るように、林さんが本との触れ合いで得ている“癒やし”はとても多様。書いてある文章の意味だけではなく、その手触りや、モノとしての美しさ、文字から聞こえるリズムの楽しさなど、本にまつわるあらゆる体験を癒やしと捉えていることがわかります。
本は“特別な存在”じゃなくていい
本の選び方、そして読み方にも「こうでなければいけない!」という決まりはありません。本とどう出合い、どうふれるかはあなた次第。「もっと自分の気持ちに素直になって本を手に取っていいんだ」と気づけると、林さんのように本が身近な存在に感じられる気がします。
林さんは「本は誰かにとっての“特別な存在”じゃなくていい」と言います。「いつでも気軽に手に取れるものであってほしい。もっと広い視野で本との関わりを楽しんでみてください」。一般的には無料で入れるはずの本屋で、文喫があえて入場料を取るのも「本屋という場所で提供できる体験にはお金を払うだけの価値があるし、お金を払うことで、そのことに気がついてほしい」と思っているから。そんな新しい本との関係を見つけに、ぜひ本屋さんに立ち寄ってみてください。あなたの想像とはまったく違う方法で、あなたを癒やしてくれる本に出会えるかもしれません。
Profile
林和泉
文喫 六本木 副店長2018年に東京都港区六本木にオープンした入場料制の本屋「文喫」の副店長を務める。2014年に入社した「日本出版販売株式会社」にて、減り続ける本屋の業態に対して何かできないかと模索したのがきっかけで、文喫の立ち上げに携わる。現在は副店長として、店舗での企画や選書など運営を担当。
https://www.instagram.com/hyshizm92/
取材・文・構成/大倉詩穂(Roaster) 撮影/菅原景子
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